モラハラ夫のモラハラエピソード。
自分で書いた過去の記事を読んでいると、よくこんな人間と結婚したなぁ……。
よくこんな人間との結婚生活を我慢して続けていたなぁ……。
と、思う。
結婚式の準備で大喧嘩している時にでも、離婚してはダメって思い込まずに引き返せばよかった。
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結婚式の準備は大変で、まだモラハラという言葉を知らなかった私はモラハラ夫に振り回されながら「本当にこの人と一緒に暮らしていけるのか??」と悩みながら準備をしていました。
いまだから、「あの時、別れていればよかった」って思うけど、それは結果論。
当時は、「たまたま機嫌が悪かっただけ」「疲れがたまっていただけ」とか、無理やり自分を大丈夫だと納得させる為に歪んだ認知を行っていました。
急にキレて酷いことを言う時もあれば、機嫌のいい普通の時もあったので(これがよくあるモラハラの手口なのですが)、自分が努力して頑張れば何とかなるかもとも思い込もうとしてしまった。
普通に過ごせる瞬間は普通だったので。
24時間、常に暴言を吐いたり会話が成立しなかったりするわけじゃないんですよね。
昨日はあれだけ機嫌が悪かったのに今日は普通とか。
今月は一度もキレたりしなかったなとか。
それにまだ、離婚直前の頃に比べると随分とマシなモラハラでした。
(それでも最低なことに変わりはないですが)
この人、人としてどうなんだろう?
人間性を疑うわ……。
こんな人と一緒にやっていける??
でも、もう後戻りはできないよね……。
じゃあ、何とか頑張るしかないよね。
モヤモヤは「このくらいのこと、誰が相手でもあるかもしれない」って思い込もうとしていた。
「相手を変えたいなら、まず自分が変わらなきゃ」とか。
過去の記事を自分で読み返していると、本当に「よくこんな生活してたな」って思う。
今は離婚して仕事に育児に忙しいけど、急にブチ切れられて怒鳴られることもなければ、いきなり始まる理解不能の無視タイムもない。
作った料理をバカにされることもないし、寝具をとられることもなく布団で眠れる。
体調が悪くて横になっていても罵声を浴びせられることもないし、大音量のゲームの音に悩まされることもない。
息子は「お母さん嫌い」と言わずに「大好き」と言ってくれる。
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本当に、離婚してよかったと思う。
結婚していた頃、我慢して、騙し騙し何とか日々をしのいでいた。
何が地雷か分からないから、機嫌がいいときでも急に大爆発する日もある。
日に日に洗脳されていって、怒らせないように気を遣うようになってしまった。
そうコントロールされてしまったことが悔しいし腹立たしい。
何とか普通に過ごせるように、何とか仲良く過ごせるように……。
そう四苦八苦する私をみては、バカにして笑う人間のために、なんと無駄な努力をしてきたことだろう。
私のようなダメな人間は、モラハラ夫と結婚できた幸運に感謝しなくちゃいけないらしいのですが、どの口が言うんだろう??
離婚調停では、ここぞとばかりに「愛している」を連発していたけど、そんなの結婚生
活の中で聞いたことない。
色々思い出しては、モラハラ夫や義両親へイライラしたり、自分自身へ我慢するな!って叫びたくなったり、モラハラでの離婚にあまり理解のない人からの「わがまま」とか「旦那さん可哀想」って言葉にモヤモヤしたり、感情が大暴れで疲れてしまう。
それでも気付けば月日は流れて、過去の記事を読んで「そういえば、そんなことあったな」とか「よく覚えてたな自分」とかで、今の私は全てのモラハラを詳細に覚えているわけではなく、少しずつ記憶が色褪せてきている。
これはいいことなのか、悪い事なのか。
全てを忘れる前に、出来るだけブログに残しておきたい。
今のまま面会交流を続けて、もうすっかり反省して謝罪して真っ当な人間になったモラハラ夫(本人がそう思っているだけ)と友好的な関係を築いていくのが苦痛なのです。
一応は反省しているらしいので、結婚していた頃に比べると今のモラハラはマシです。
モラハラ夫の人間性が変わったというよりは、物理的に距離が離れているからっていうのが大きいのだと思うけど。
会えば一応は子ども達の手前普通の時が多い。
周りから見れば、普通の家族連れにしか見えないだろう。
普通の家族って、結婚生活の中で私が望んでいて、でも手に入らなかったもの。
平和に過ごせる瞬間。許せたらいいのにって思う瞬間もある。
でも、謝ってもらってないし、口には出さないけど態度で示すってこともない。
いつか許せたらいいのかもしれないけど、今はまだ許せない。
許せたらいいのにと、許したくないが行ったり来たり。
そして、今はまだ「許せない」「許したくない」って自分の気持ちを大事にしたいです。
別にモラハラ夫へ攻撃的になるわけではないです。
うまく言えないけど、面会交流時は子ども達の手前、平和でいたい。
でも、楽しい時間を作れたからといって、だからといってそれが「もういいよ、許すよ」とイコールではないのです。
それはそれ、これはこれ。
面会交流は楽しく過ごしましょう。
でも謝罪も反省もないので、私は許してはいませんよ。
ってことです。
モラハラ夫の中では、悪いことをしていたのは過去の俺であって今の俺ではないそうで、昔のことになっているようです。
養育費は払ってもらっている。
それが反省と謝罪の証ということになるのだろうか。
養育費をもらえない人が多くいる中で、私はまだマシな方。
だから養育費をもらった上に謝罪と反省を要求しているなんて(もう言っても無駄なので心の中でだけですが)図々しいのかなと悩んだり。
離婚しても、子ども達にとってはパパとママっていう、新しい家族の形を作るのは難しいです。
私の思っている「普通」が通用しないし、いまだに何が地雷か分からない。
今はまだ、自分の中の「許せない」を優先したい。
いつかもっと時間が経って、もっと笑えるようなネタになったら、その時は少しずつ許していける日が来るかもしれない。
今は笑える話もあれば全然笑えない話もある感じです。
笑い話になった時に、少しずつ許していけるのかなぁ??
仮に「ごめんなさい」がなかったとしても、一応これがこの人なりの反省なのだろうと、受け入れることが出来る日がくるのだろうか。
まだまだ先のことだろうと思うので、分かりません。
和解する日はくるのだろうか……。
とりあえず、自分の気持ちを大事にしたいので、モラハラエピソードを忘れないうちにどんどん更新していけたらいいなと思います。