モラハラ夫と離婚しました!シングルマザーどんぐり子の日常

モラハラ夫と離婚しました。新しい人生を歩んでいきたい。

蘇るモラハラの記憶

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ここ最近のことなのですが、部屋の片づけをしようとして、とあるノートを手に取って固まってしまった。

中を見るのが怖い。

緊張しつつもページをめくって、「あ、ダメだ」と思って本棚に戻した。

それは私が書き記した、モラハラの記録。

モラハラ夫からされていることがモラハラだと認識した後、離婚の為に、いつどんな風なモラハラがあったかを書き記しておいたノート。

ちょっと読んだだけで当時のことを思い出して、まるで幽体離脱した自分がタイムスリップでもして、モラハラが行われていたあの部屋を覗き込んでいるような気持ち。

まるで今さっきの出来事のように感じられる。

映画でも見ているみたいに、モラハラを受けたシーンが頭の中に再生される。

モラハラを受けていた当時に瞬間移動したみたい。

「あ、やっぱり酷い環境だったんだ」って思った。

今は別居して離婚して、物理的な距離があるので安心して暮らせている。

定期的にくるラインなんかで嫌なことを言われたりするけれど、結婚していた頃に比べたら頻度がぐっと減ったのだから、だいぶ楽な生活になった。

結婚していた頃は悩みといえばモラハラ夫と義両親のことだったけど、今の悩みは仕事とか育児のことや将来のこと。

モラハラで悩んだりはしていない。

だからかな、普通の暮らしを出来るようになっていて、喜ばしいことのはずなのに、ふとした瞬間に「本当に?」って自問自答をしてしまう時がある。

許していいレベルのモラハラ

許さないとモラハラ夫が可哀想なレベルのモラハラ

思い出が美化されて、自分が被害者ぶってはいないだろうか?

そんな風に、自分が受けてきたモラハラを過少評価してしまう時がある。

それは、モラハラに理解のない人との温度差が原因だとは思う。

よくネットでモラハラの記事とかエピソードとかを読む。

どうしても、モヤっとしてしまうんです。

納得いかない。

モラハラの漫画とか、被害者の体験談とかは、自分の体験とよく似ていて、私のモラハラ夫が元ネタなのかと思うくらいにどれもこれも似通っている。

身に覚えのある話だな~と思って読む。それは納得なんです。

モヤっとするのは、モラハラがすごく軽く扱われている記事。

モラハラ男をスカッと撃退とか、そういった系の話が無理になってしまった。

うっかり読んでしまって、モヤモヤイライラ。

賢い女はこう言い返すとか、強い女はモラハラに負けないとか、そういった系の話がしんどいんです。

別に自分が攻撃されているわけじゃないので過敏な反応だとは自覚あるのですが、あまり軽々しく扱って『バシッと言い返せばモラハラの被害に合わない』みたいな印象を読者に植え付けないでほしいな~……とか思ってしまう。。。

言い返されてタジタジになってモラハラが終わる場合もあるのかな。

私が経験ないから、その程度の反撃であっさり終わるならモラハラっていうより、モラハラ予備軍なのでは??とか思ってしまう。

もちろん、モラハラ男に見切りをつけて、別れたり離婚したりした女性はよかったと思うし、バシッと言えるのは格好いいと思う。

モラハラ予備軍の段階でさっさと別れるのが正解だと思う。

でも、記事をまとめた人のコメントが、まるで他人事で面白おかしくモラハラについて語っていたりする場合、なんだこの記事!?って思ってしまう。

困っちゃいますねとか、お互いに思いやりを~とか、書かれていると、モラハラについて知らない人が好き勝手に書いてる記事なのかな?って思う。

モラハラという言葉が広まってきたのはいいと思うけど、軽く扱われてるんじゃないか?って思う。

正しく認識されているのだろうか?

被害者側が正しい対応をとっていれば、加害者を撃退することが出来るって、思ってほしくない自分がいます。

そんな簡単な話じゃない。。。

ちょっとビシッと言い返しただけで撃退とか、それで済んだのならよかったねだけど、全ての加害者がそうとは限らないから。

ビシッと言って反省させて、すっかりいい夫になりましたってエピソードは、どうにも腑に落ちなくて、幸せになったのならそれでよかったのだけど、我が家は違ったからな~と思うのです。

賢ければ、強ければ、反撃して撃退することが出来る。

って、思わないで欲しい。

被害者が強ければ、賢ければ、上手に立ち回ればよかったのに、何でしなかったの?みたいに言われているみたいに感じてしまって、勝手にしんどくなる。

自分のモラハラ記録ノートを手に取っただけで、緊張した。

ページを開いて、呼吸が乱れた。

指先が震えて、フラッシュバックして、まだ自分が傷付いていたことを知った。

モラハラのエピソードを記事にしていきたいけど、なかなかうまくいかない。

思い出すことは、傷を抉ること。

それでも、書いて納得して、気持ちの整理をしていきたい。

どうしても、怖いという思いがあるのです。

モラハラの認識が、軽い感じの人達からは、

「もっとビシッと言えばよかったのに」

「うまく立ち回れなかった自己責任」

って思われるんじゃないかって。

私も自分で過去を振り返って、何であの時、もっとうまく立ち回れなかったんだろうって思うことがあるから。

情けない自分とも向き合わなきゃいけないのが辛い。

その辛さを、モラハラを軽く扱う人へのイライラへとスライドさせて、向き合うことから逃げていました。

モラハラは簡単に解決できるって思われるのは嫌だけど、モラハラって言葉は多くの人に知ってほしいから、勝手に記事を読んで勝手にイライラしていても仕方ない。

初期の段階でさっさと見切りをつけて動けた人は素晴らしい。

私がモヤモヤしていたのは、エピソードの当事者に対してではなく、エピソードを募ってまとめている人に対してなんだな。

どうせモラハラについて書くのなら、こんな男と結婚したら最悪ですね~みたいなコメントを書くのではなく、モラハラの仕組みについてとか、被害者に寄り添ったコメントとか、もっと他のこと書いてほしかったなって。

ノートを開いてフラッシュバックしたあの景色。

誰にも見られない部屋の中で、子ども達を人質に取られ、精神が崩壊しそうな苦痛を見せてやりたい。

こんな男には要注意ですね☆みたいなこと、言えないと思う。

世間に広まりつつあるモラハラと、私の体験したモラハラが、かけ離れているんじゃないかって不安。

自分のエピソードは、小さいものが多い。

一つ一つを見れば、「その程度のことでモラハラ?」って言われそう。

でも、それが100や200も続けばしんどい。

息子がパパに会いたがる今も、しんどい。

ブログのネタとして書き溜めておいたモラハラのストックを見て、フラッシュバックがしんどい。

書こうとして、なかなか書けないでいる。

でも、傷を抉って膿を出して前に進んでいきたいのです。

転職したこともあってなかなか時間を作るのも難しいけれど、それでも、今年中に少しは書いていきたいと思います。