私はモラハラ夫との結婚生活の中で、度々『もしも死ぬ間際にモラハラ夫に今までありがとうって言われたら自分はどう感じるか?』を自問自答していました。
それは、この結婚生活が報われる日がくるのか?
という問いかけです。
日本ではよく、我慢が美徳とされているような風潮があります。
自己犠牲や献身も美談になっている。
夫から散々な扱いを受けていたけど、死ぬ間際になった時、
「どんぐり子ちゃんと結婚できて俺は幸せだったよ」
「今まで面と向かって言えなかったけど、ありがとう」
なんて言われたら、(言わないと思いますが)
私は何を感じるのだろう。
今までの苦労が報われた……。
やっと通じたんだ!
自分の我慢は無駄じゃなかった。
辛い日々だったけど、頑張ってきてよかった。
……。
果たしてそう思うだろうか??
いや、思わないだろうな。
「なんで今言うん??」
「最後に一言ありがとうって言っておけば、それで全て許されると思うなよ」
って、本気でキレそう。
最後に感謝の言葉を残されたら、周りの人からは、最後なんだから許してあげたら?って圧力がかかりそうだし、美談にされそう。
例えば、もしもあと50年生きて結婚生活を続けて、その間に様々なモラハラを受け続けて苦しんで、それが死ぬ間際のたった一言の「ありがとう」で清算って……。
都合よすぎない??
許せる??
そもそもそんな先の未来を想像して、その時自分はどう思うのか?なんて考えるなんて、現状に望みがなさすぎるからだったんだろうな。
モラハラ夫は私のことを「必要としていない」ってはっきり言っていたし。
「気持ち悪い」とか「うざい」とか「近づいてほしくない」とも言われていた。
一緒にいる意味ある??
って思う結婚生活。
そんな結婚生活の行く末を想像して、ありがとうって言われても許せないだろうなって思ってた。
じゃあ、そこまで思ってるのに、我慢するのは何故?
離婚できないって思い込んでいたんです。
その時の話はコチラです↓
www.akanedonguri.com
モラハラ夫には「性格を治せ!」とずっと言われていました。
私は本当にダメな人間で、間違っている人間。
私は人より劣っていて、世間知らずで、何も出来ない。
そう思い込まされて、本当に何も出来ない人間になっていく。
洗脳されて、本当に自己肯定感が低かった。
今は少しずつ少しずつ、息を吹き返している途中です。
いつか、今よりもっと自信を持って、胸を張って生きていけたらいいな。
そう思いました。