モラハラ夫と離婚しました!シングルマザーどんぐり子の日常

モラハラ夫と離婚しました。新しい人生を歩んでいきたい。

モラハラ夫との生活に苦痛を感じ、離婚したいと思いながら暮らしている人達に伝えたいこと(モラハラ夫に洗脳されている人達に伝えたいこと)

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先日、父親が買ってきた日めくりカレンダーに、ドキッとする言葉が書いてありました。

「限りある命(とき)を無駄に使うな」

本当にその通りだなぁと、ものすごく納得。

私は今まで命の無駄使いをしていたと思う。

 

有難いお言葉って、世の中にはいっぱいあって、その言葉に救われることもあるけど、逆に苦しくなってしまうこともあると思うんです。

例えば私の場合、「感謝の気持ちを持ちましょう」とか「相手を思いやりましょう」とか「相手に求める前に、まず自分から行動しましょう」とか。

「人を変えるには、まず自分から」とか「人に親切にした時に見返りを求めてはいけない」とか。

他にも色々あるのですが、とにかく、これらの言葉は、自分が傲慢になってる時は有効だけど、一生懸命努力している時は絶望の言葉なんですよね。

これらの言葉が悪いわけじゃない。

ただ、モラハラを受けている時は、例外だと思って気にしなくていい。

これらの有難いお言葉は、モラハラとの相性がとても悪いのだと思います。

だって、夫に感謝の言葉を伝えてもバカにされただけだし、夫に喜んでもらいたくて料理作っても無視だし、不機嫌でイライラしてる時は疲れてるんだろうなと思ってそっとしておいても八つ当たり激しいし。

ねぎらいの言葉をかけても嫌味を言われるし、夫を思いやって行動してもモラハラは続くんです。

どれだけ自分が努力をしても、モラハラ夫はモラハラをやめない。

だから、自分の努力不足なのかな?とか、モラハラやめてほしいって見返りを求めてしまっている自分がダメなんじゃないかとか、夫に対する感謝の気持ちが足りないんじゃないかとか、恐ろしい思考回路になっていくんですよねぇ。

「努力は報われる(正しい努力に限る)」という言葉もありますが、モラハラ夫に関しての努力は本当に報われないです。

我慢すれば我慢した分だけモラハラエスカレートするし、「明けない夜はない」って言うけど、モラハラ夫と生活するってことは永遠に暗黒の世界を彷徨い歩くようなもんやわ。

別居できた今は、めちゃくちゃ感謝の気持ちを持っているし、離婚に向けての努力は報われてほしいし、さっさと夜は明けてほしい。

結婚って、ある程度の我慢は必要かな~?とか思ってたけど、モラハラってある程度の我慢ってレベルじゃなかったわ。

 

これは例えるならの話で実際におこった出来事ではないのですが、例えるなら、夫がゴミを材料に私のために料理してくれて、それを有難く完食しなきゃいけないんです。

最初は卵の殻が入っていたり髪の毛が入っていたりで、調理中に混入したのかな?って思うレベルのゴミなんです。

嫌だけど、わざとじゃないんだろうなって思って、ゴミを取り除いて食べるんです。

私の為に作ってくれたものだから、人の好意は素直に受け取らないと失礼だなって思って。それでも気を付けてほしいことは言うんですが、いつでも夫の料理にはゴミが混入している。

だんだんゴミの量が増えていって、私が怒ると、「作ってもらってる立場で偉そうなことを言うな」って怒るんです。

「せっかくどんぐり子ちゃんの為に心を込めて作っているのに」

「せっかく作ってあげたのに文句を言われて俺は傷付いた」

「俺が作った料理をまずそうに食べるって俺に失礼だって思わないの?」

「手料理を完食しないなんて常識ないよね」

「残すの?俺の気持ちを踏みにじるの?」

苦手な食材があるとか、もっと味付けを変えてほしいとか、やんわり頼んでも、

「わがままで自分勝手」と切り捨てられる。

さらに義両親が登場して、

「私達のこんなに素晴らしい息子ちゃんの手料理が食べられて幸せでしょう?」

「息子ちゃん、お疲れ様」

「息子ちゃんはどんぐり子ちゃんの為に料理してあげてるんだから、感謝の気持ちを持たないとダメだよ」

「息子ちゃんが料理にゴミなんて入れるわけないでしょ(笑)」

入れてるんだな~これが。

そもそも夫にゴミレシピ提供したの義両親やしな。

ついでに義両親が差し入れといってもって来てくれるのもゴミ料理。

ちゃぶ台ひっくり返していいレベル。

最終的には混入とかのレベルでなくて、全部ゴミ。

食べることが出来ないものが食卓の上に並べられる。

でもね、嫌だなって思いながら、ゴミだって気付かないんですよ。

いつも通り夫が作ってくれたけど、今日のはちょっと酷いな、食べたくないなって思っても、100%ゴミで出来てるなんて思ってなくて。

それにずっと我慢してると、慣れてくるんです。

めちゃくちゃ嫌だけど、それが当たり前になってくる。

でも嫌だから、解決策を探すんです。

夫の料理を美味しく食べる方法っていうのを検索して、片っ端から試すんです。

でも全然ダメ。

何故なら元々がゴミだから。

ドリアや炒飯にアレンジしたら大丈夫とか、通用しない。

夫の料理が食べられない理由が、味が薄いとかちょっと焦げてるとか、そんな話じゃないから。

元々がゴミだから手の施しようがない。

ゴミにソースかけようが醤油かけようが、ゴミなんですよね。

毎日ゴミなんて食べてたら、気分悪くなるし体調も崩しますよね。

そうなると、ゴミ料理が原因で体調崩したみたいで(実際にはそうなのですが)夫のせいで体調崩したみたいで、「俺のせいにするな」ってキレられるんですよね。

ずっとゴミ料理を食べ続けるのは辛い。

でも絶妙なタイミングで、夫も義両親もゴミ料理を作らない時期があったんです。

ただの白いご飯だけだけど、ゴミが混入されていない。

これがめちゃくちゃ美味しいんですよね。

普段ゴミばかり食べていると、白米がとても有難くて美味しくて。

このままじゃ空腹で倒れるなって時に、ちゃんと食べられるものが目の前にある。

美味しいご飯をありがとうって思ってしまうんですよ。

恐ろしい。

よそのご家庭では、白米に味噌汁、おかずも2~3品、なんならデザートだってついてくる。

でも、他と比べることはよくないと思って、白米だけでも食べられることに感謝していたんですよねぇ。

出来るなら毎日白米が食べたい。

でも白米が出てくるタイミングは夫の機嫌次第。

夫の機嫌を損ねないように生活してしまうんですよねぇ。

米食べないと死んじゃうから。

こうやって洗脳されていくんですね。

恐ろしい。

ずっと悩んでいました。

「どうして私は夫の料理を美味しく食べることが出来ないのだろう?」

「私は味覚障害なのかな?」

「料理を作ってくれる夫に感謝の気持ちを持てないなんて、私がおかしいの?」

本当にもう、悩む必要なんか全然なかった。

ゴミなんて、普通食べないから!

食べられないのが当たり前だから!

むしろよく今まで我慢して食べてたなって思うわ。

これもやっぱり「何か問題が起こった時に、相手のせいにするのはよくない」って思いが自分の中にはあって、「相手を変えることは出来ないから、まず自分が変わらなきゃ」って頑張ってしまってたんですよね。

私がどう頑張ったところで、ゴミはゴミなんですよ。

私はゴミ料理じゃなくて、白米が食べたい。

夫に交渉すると、「白米を食べてもいいレベルの人間になってから言って」って返ってきて、私の人としてのレベルが低いから、ゴミ料理しか提供しないんだと説明を受けるわけです。

でも私の人としてのレベルを測るのは夫なので、全部夫の気分次第なんですよね。

「ゴミ料理を美味しく食べる方法」とか「ゴミ料理を食べたくないと伝える方法」に「ゴミ料理は食べるのが苦痛だと分かってもらう方法」とか、ずっとそんなことばかり悩んでいました。

自分に問題があると思うと、そうなりますよね。

まず、普通の人はゴミ料理を食べないって気付かなきゃいけないし、自分も普通の人なんだって気付かなきゃいけない。

自分は人よりレベルが低いからゴミ料理を出されても仕方ないとか、そう思い込んでしまっているなら、すでに相当ひどいモラハラを受け続けているはず。

どっからどう見たって、笑いながらゴミ料理を皿に盛る夫の方が気が狂ってるやん。

なかなか気付けないのは、それが特別なことではなく、当たり前になってしまっているから。

本当に気付けないんですよ。

あと、「悪いところばかり見るのではなく、いいところも探しなさい」って言うやん?

ゴミ料理にいいところってあるかな?

私は見つけることが出来なかったよ。

「この辛い経験が後々自分の糧になる」とか言うけど、ゴミ料理を食べ続けたら最悪死ぬ。

多分、周りから見れば、何でここまで我慢するの?ってレベルやと思うんですけど、我慢してることに気付いてないんですよ。

毎日ゴミ料理食べてたら、だんだん耐性がついてきて、ギリギリのところで耐えれてしまうんですよね。

モラハラを受けて辛い思いをしている人達に伝えたいのは、

「どうすればモラハラをやめてくれるのかな?」

「私の受け取り方が悪いのかな?」

「どうすれば仲良くやっていけるんだろう?」

「離婚や別居の他に、何かいい方法はないのかな?」

って悩むより、

まず、離婚か別居を決意すること。

これからどうしたらいいんだろうって悩んだとき、まず、モラハラ夫と離れることが必須。

かけ算で考えてみてください。

モラハラ夫の存在は、基本的にマイナスで、よくてもゼロの存在です。

自分がどれだけ頑張ってプラスをかけても、マイナスかゼロにしかならないんですよ。

しかも、頑張れば頑張るほどマイナスは大きくなります。

でも、マイナスかゼロになってしまうのはモラハラ夫のせいじゃなくて、自分自身の頑張りが足りないから。

こんな馬鹿な話ってあります?

自分の残りの人生、全部かけることが出来ますか?

例えば、モラハラ男と見抜けずに結婚したんだから自己責任って意見があったとして、仮に自分が悪かったとして(悪くないけどな)その罰が、奴隷生活50年(あと50年くらい生きるとしてやで)って、めちゃくちゃ罰が重すぎやしませんか?

 

モラハラ夫と仲良く暮らしたいと思いますか?

愛情は本当に残っていますか?

 

私はゴミ料理を食べ慣れてしまったけど、夫がゴミ料理の作り方を息子に教えたり、ゴミ料理を作る手伝いを息子にさせたり、お母さんにはゴミ料理をだしたらいいんだよって教えたり、場合によっては夫が息子にゴミ料理を出していたってことに気付けたので、離婚することにしました。

まだ離婚が成立していないので、同じように悩んでいる人達に具体的な離婚の仕方等は伝えられないのですが、離婚しなくてすむ方法を探すより、離婚して人生をやり直すことを選んだ方が、自分の命を無駄使いしなくてすむんじゃないかなぁと思います。

「限りある命(とき)を無駄に使うな」

って、夫と同居していた頃の自分に伝えたい。

モラハラ夫の為にすり減っていい命じゃないんですよ。

自分で選んで結婚したから離婚は出来ない」って思わなくていい。

自分で結婚を選んだんやったら、今度は離婚を選んだらいいだけの話なんです。

難しく考えない。

自分で選んでいい。

私の最近好きな言葉は、

とにかく、やってみる。

本当、とにかく何かしら動けば、何かが変わってくるんです。

頭の中で悩んでいるだけじゃ変わらないことも、自分が動き出せば変化が起こる。

あと、やってりゃ終わる。って言葉も好きです。

やらなきゃいけない手続きとか、大変なこと、めんどくさいこと、後回しにしたいこと等々、やらなきゃいけないけど、やり続けていれば、いつか終わるんです。

難しく考えなくても、やってりゃ終わるんです。

 

離婚をしても、離婚をしなくても、どちらの道を選んでも、めちゃくちゃ大変で辛いと思うんです。

それでも、離婚の道は、大変で辛いけども、希望はある。

夫は一応ごくごく普通の会社員なので、モラハラを我慢しながら離婚しない道を選択したら、離婚をするよりも経済的に安定した暮らしをおくることが出来る。

でも、それが幸せ?って聞かれたら、幸せって答えられない。

別居した今、夫と暮らしていた時と比べると充分に幸せです。

まだ離婚は成立していないし、本当にものすっごい不安はあるんですが(仕事とか車の運転とかお金とか離婚調停とか子どもの気持ちとか)、それでも幸せ。

悩みがつきないし、今後どうなっていくかめちゃくちゃ怖いですが、それでも幸せ。

「おはよう」とか「いってきます」とか「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか、私が大事にしたいと思う言葉が存在する世界に帰ってくることが出来た。

ご飯を美味しく食べることが出来て、お風呂もあったかくて、夜はふかふかのお布団で眠ることが出来る。

戦場から当たり前の日常に帰ってきたんやわ。

怪我も病気もせず、これから人生をやり直すチャンスをもらえて、感謝しています。

まだ戦いはこれからですが、残りの人生全力で生きたいんです。

奴隷ではなく、人として生きたい。