娘の手形を見て、モラハラ夫の言葉を思い出す。
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息子が産まれた時、記念に手形をとることにしました。
生後三か月か四か月くらいの時にとった。
(写真はイメージです)
息子を抱っこしておさえる係と、手に手形をとる用の液体を塗ったり台紙を押さえたりする係をモラハラ夫と手分けしてやった。
一人でするのは大変だったと思う。
モラハラ夫は息子が動くから思うように進まなくてイライラしていた。
記念にとりたいと言ったのは私だったので、妻の発案に付き合わされて迷惑をこうむっている夫というポジションである。
時は流れ娘が産まれ。
私はモラハラ夫に、娘の分も手形をとりたいと言った。
その時に返ってきた答えが信じられない。
「息子の時にとったんだから、娘のは別にしなくてもいいんじゃないの?」
なんでこんな言葉が出てくるんだろう。不思議。
普通、息子に手形をとったなら、娘も手形をとろうとなるんじゃないの?
大きくなった時に娘が「なんで私の分はないの?」って哀しい思いをするかもしれない。
育児で兄妹で差をつけたくない。
本当に、どうしてそんな言葉が出てくるのか。
もともと娘に興味を示さなかったので、モラハラ夫は兄妹で差をつけている。
息子を優遇して娘は放置。
そして息子の手形をとったのも、息子の記念を残したというより、「子どもの手形をとる」という自分の体験なのだろう。
同じことを二度する必要はないから、一回やれば充分だから、だから別にもう一度手形をとる体験をする必要はない。
結局モラハラ夫を説得して手形は残せたけど、とるのは大変だからまた機嫌が悪かった。
モラハラ夫にとっては、余計なことなんですね。
手間が増えるし、面倒だし、そんなことは一人で勝手にやってくれということで、子どもの成長に関わることでも夫婦で楽しめないんです。
俺に迷惑をかけるなって怒るのは、育児の当事者意識の欠如だろう。
夫婦で仲良く育児なんて、夢のまた夢でした。