今日は子ども達を皮膚科に連れて行きました。
息子も娘も私に似て肌が弱いようで、湿疹が出来てしまったのです。
モラハラ夫には、よく「かわいそうに」と言われていました。
その発言を聞く度にイライラする私。
「かわいそうになぁ」
「ママに似てかわいそうになぁ」
「ママからの遺伝だなぁ」
「ママのせいでかわいそうになぁ」
こうやって子どもに、「ママのせい」というのをすり込むのが趣味なのだろうか。
好きで肌の弱さを遺伝させたわけじゃないのに。
普通のパパなら、子ども達にそんなこと言ったりしないのだろうな。
私がそういった発言をやめてほしいと言うたびに、「本当のことを言って何が悪い」とモラハラ夫は言うのである。
息子のことを「かわいい」と褒める時は、「俺に似て」という言葉がセットでついてきます。
「俺に似てかわいい」
「さすが俺の息子だ」
こういった発言も、聞いていていい気分はしないのです。
私にだって似ているところがあると言えば、
「ふーん?そう見えるんだ?(笑)」
「視力大丈夫?(笑)」
「かわいそうにね(笑)」
なんて返ってくる。
子ども達が言うことを聞かなかったり、大騒ぎしていると、
「躾がなってない」って、これもまた「ママのせい」になる。
子ども達が風邪をひくのも怪我をするのも「ママのせい」になる。
でも、道端で誰かに「可愛いわね」「お利口さんだね」なんて子ども達を褒めてもらったら、「俺に似てるから俺のおかげ」なんて言ったりして上機嫌になっている。
義両親にもこの傾向はあって、息子が可愛いと褒められればすぐに「モラ夫ちゃんの小さい頃にそっくりなんだよ!」って話になる。
モラハラ夫程口に出しては言わないけれど、いいとこ全部息子のおかげで悪いの全部嫁のせいっていうのがあるんじゃないかなと私が思ってしまうくらいのことはあった。
モラハラ夫は「俺の子どもだからかわいい」と一緒に、
「どんぐり子ちゃんに似ちゃったら困る」
「似てほしくない」とも言っていたことを思い出した。
私のようなレベルの低い人間になってしまったら、子ども達が可哀想だというのだ。
子ども達の将来のためにも、私を反面教師として私のような人間にならないように育てなければいけないらしい。
本気でそれが子ども達の為だと信じているようだったし、それが正しいと思っているようだった。
息子も娘も私に似ているところはあるけれど、私のコピーなわけではないし、それぞれ一人の人間なのだからこれからどう成長していくのか見守っていきたい。
