五歳の息子は保育園から帰ってきたら、園でのことをお話ししてくれます。
息子の話は息子本人のことも多いけど、お友達のこともお話ししてくれる時があります。
「○○くんはなわとびがすごいねんで!」
「△△くんは走るのめっちゃ速いねんで!」
等々、お友達のかっこいいところやすごいところを教えてくれる。
これはまだモラハラ夫と結婚していた頃、息子が幼稚園に通っていた時もそうでした。
お友達のことを「すごい!」とにこにこして自分のことのように嬉しそうに話す息子。
私はそんな息子のことが好きでした。
ところが、モラハラ夫にとっては違ったようでした。
モラハラ夫が語る息子の欠点
モラハラ夫は、お友達のことを「すごい!」と褒める息子を許せなかったようです。
お友達のことをニコニコと話す息子のことを「問題がある」と言っていました。
息子へ直接怒鳴りつけることはしなかったけれど、私にしっかりと躾けるようにとお説教をしてきました。
私は、人の成功を喜ぶことは間違っていないと思っています。
誰かを妬んだりするより、ずっといい。
でも、モラハラ夫にとっては間違いなのです。
「他人の成功を喜ぶような人間になってもらっちゃ困る」
「なにくそ!っていう反骨精神が必要なんだよ」
「自分も負けないように頑張らないとダメだろ?」
「そんな軟弱な人間になってもらっちゃ困る」
「今からしっかり教育しないと」
モラハラ夫は由々しき事態だと言うけれど、モラハラ夫がこんなことを言い出した方が由々しき事態です。
モラハラ夫は私の育て方が悪いと主張するけれど、本当にそうなの??
モラハラ夫は、息子が私のような弱い人間になってしまったら問題だと言います。
確かに人生の中で闘争心や競争心が必要な場面はあるかもしれない。
でもそれって、今じゃないんじゃない??
お友達と仲良く過ごせるって、大事なことなんじゃないの??
上手なお友達の真似をして、自分も上達出来るように頑張る。
それは必要なことだと思うけれど、モラハラ夫が言っているのはそんなことじゃない。
当時まだ3歳の息子のことを、「軟弱」「闘争心がない」と評価し、このままではダメな人間になってしまうと嘆く。
その様子は、まるで息子が何らかの罪を犯してしまったかのようです。
そんなに切羽詰まった状況なの?
まるで、息子の人生がもう取り返しがつかないかのよう。
はやく何とかするように言われても、私は自分とモラハラ夫との価値観が違いすぎてついていけない。
モラハラ夫の望むように育てたら、息子もモラハラ人間に育ってしまう。
息子がどんどん息子ではなくなってしまう。
お友達のことを「すごい!」と言うのは、そんなにも哀しまなくてはいけないことなの?
育て方を間違えたと嘆くことなの?
今のうちからしっかりと教育しないとって、何を??
息子にはのびのびと育ってほしいのに息が詰まりそう。
今でも、自分の考えは間違っていないと思う。
「○○くんなわとびすごいねんで!」と息子は言うけど、息子も練習して少しずつ飛べるようになってきた。
お絵描きだって、ひらがなだって、少しずつ上達している。
息子のことを「軟弱」だとは思わない。
私とモラハラ夫では価値観が違う。
お友達のことを嬉しそうに話すことが「欠点」だとは思わない。