モラハラをする人間は、独自のルールを作り、それを被害者に押し付けます。
私は結婚生活の中で、理解できないルールを強いられ、非常にストレスを感じていました。
今回は、「海に行ってはいけない」ルールについて、書いていこうと思います。

「海に行ってはいけない」
そのままの意味です。
一生海には行くなということです。
理由は、危ないから。
危険な場所に、わざわざ行く必要はないとのこと。
そして海は汚いから行きたくないと言っていました。
子どもを連れて海水浴に行くなんて絶対に許さないとのこと。
私は独身時代に毎年海に行っていたわけではないし、海に行かなければいけない理由もない。
興味のない人は、海に行くなんてめんどくさいと思うだろう。
実際に子どもを連れて海に行くとなると、少しも目をはなせないから大変だろう。
でも私には、子どもの頃、両親に海へ連れて行ってもらった思い出がある。
浮き輪をして泳いだり、砂浜で山を作ったり、水着の中が砂だらけになったり、日焼けして真っ赤になったり。
わいわい騒ぎながら、楽しかった思い出がある。
だから、自分の子どもにも、楽しい思い出を作ってあげたい。
そんな気持ちがありました。
だから子ども達が大きくなったら、海に遊びに行く機会があってもいいんじゃないかと思っていました。
でもモラハラ夫と結婚生活を続けている以上、そんな日は永遠にやってこないのです。
同じようなパターンで、「川に行ってはいけない」もあります。

理由は海と同じく、危ないから。
ですが私は海と同様に、子どもの頃、川へ連れて行ってもらった思い出があります。
冷たい水に足をつけて、魚を見つけてはしゃいだりして、楽しかった記憶があります。
海や川の動画を見ても、水の冷たさは分かりません。
自然の匂いもしません。
大自然の中でしか経験できないものはあると思います。
確かに自然には危険があります。
もし行くなら、子ども達が危険な目にあわないよう、準備が必要です。
モラハラ夫は、その準備をしたくないのです。
外出すると、子どもが危ない目に合わないか見張っておかなければいけない。
子どもから目を離せないなんて、大変です。
そんな大変な思いをしてまで、わざわざ行くような場所ではないと、そう考えているのです。
ついでに、「山に行ってはいけない」もあります。

こちらは「危ないから」よりは「めんどくさいから」が理由のよう。
わざわざ疲れに行きたくないとのことです。
俺は行く必要がないと思っているから、当然行かない。
ですが山も、私には子どもの頃、家族で山に登った思い出があります。
自分が子どもの頃に体験したことは、出来るだけ自分の子ども達にも体験させてあげたいと思ってしまう。
息子と娘が行きたがらないなら別ですが。
山は後日、「○○山なら行ってあげてもいいけど?」とモラハラ夫が言い出したことがありました。
テレビの影響か何だったか、何かに影響されて興味を持って、むしろ行ってみたいと気が変わったよう。
でも、「一生行かないなんて言ってごめんね。今は行ってみたくなったんだ。一緒に行かない?」なんて言いません。
モラハラ夫が私を外出に誘う時に言うセリフは、
「行ってあげてもいいけど?」がお決まりのセリフです。
偉そうに言われてイライラしてしまい、この時は行きませんでした。
その後もずっと、行く機会はありませんでした。
別に、海も川も山も、絶対に行かなきゃいけない場所というわけではない。
でも、行かない理由が、「危ないから」ではなく、「危ないから禁止とモラハラ夫が決めたから」なんです。
自分で、「危ないからやめておこう」と判断するのと、「一生行くことはないから」と押し付けられるのとでは違う。
行ってみたいなと思った時に、時間もお金もあったとしても、「禁止されているから行けない」なんて哀しい。
自分の意思じゃない。
自分で選んでいない。
でも、海も川も山も行かないって人は、結構いるんじゃないかな?と思っています。
だから、海と川と山を禁止されてると言っても、それだけで離婚の理由にはならない。
私も、これが原因で離婚をしたわけではない。
これらの細かい些細なことが、たくさんたくさんあるんです。
一つ一つは小さくて、それ単体だと、そのくらい許してあげたら?って思われてしまうかもしれない。
でも、例えば針をチクッと刺された痛みが、一本分なのか千本分なのかで痛みの度合いは変わってくるんじゃないだろうか。
塵も積もれば山となる。
針一本分の痛みだと思い込み我慢し続けた結果、傷だらけになっている自分に気付けずにいた……そんな感じがします。